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           お気楽エッセイ集

      いつも ほこほこ

 

    「ほこほこ」には、まったく意味はありません。

     「ほくほく」と「にこにこ」の合成語とでもご理解ください。

    まあ、タイトルは「お気楽極楽越天楽」とか「ちょっとふた言

    よろしいかしら」いう案もあったくらいです。思いついたこと

    を思いついたまま、気分しだいで書きつづろうという、かなり

    いい加減なエッセイ集になりそうです。 

    ■ お読みいただくときは、ウインドウ右下のサイズボックス

      で、タイトルの幅に合わせて、左右を縮めると読みやすい

      と思います。 

 

 第16話「ありがとう。広越たかしくん」2002・6・18

 ワールドカップの異常なほどの熱狂と興奮のさなか。2002年6月17日夜9時、友人の作家M氏から電話があった。広越くんが入院していて意識がないという。肝硬変。腹水。荒い呼吸……。

 そんな電話があってから、ちょうど6時間後の18日深夜午前3時ころ、電話のベルがなった。出る前に切れたが、イヤな予感がして眠れない。ぼんやりと彼の最新作『ゆうたの小さなカタツムリ』を読みかえした。

 6月上旬、広越くんとは、2度ほど電話で話している。半年ぶりに会って、そば屋で酒を飲む約束をしていたからだ。でも、約束の当日電話をかけると、便秘で腹が痛いとかで、残念ながら飲み会は延期になった。そんな電話をしたのが6月6日だから、十日ほど前のことだ。

 ぼくと広越くんは、十数年前に『二束三文ブラザーズ』というグループを作った。オリジナルの曲を作り、ギター片手に歌うというもの。一度、高円寺のライブハウス「あるぽらん」のステージで歌ったきり、ずーっと開店休業だった。

 そういえば二年ほど前、彼から一枚のFAXが送られてきたことがある。友人知人が、つぎつぎに死んでいくといった《死》について書かれた詩で、これに曲をつけてくれということだった。曲作りは、広越くんにはかなわないと断ったが……。 昨年末、これまで彼が書きためた原稿を、出版社持っていったことがある。なんとか本にできないかと思ったが……。

 6月18日、午前7時半。M氏から再度の電話。広越くんが、午前3時20分に亡くなったという。ぼくより一回り若い42才だった。

 もっともっと、彼と遊びたかった。一徹なところがありながら、本当に優しい彼だった。正直者で誠実な彼だった。ぼくが辛い時期に、心温かく支えてくれたことは決して忘れない。ありがとう。ありがとう。

「なくな。生きてるものは みんな しぬんだ」

 これは遺作になってしまった『ゆうたの小さなカタツムリ』の中で、おとうさんが残した言葉。でも、何年か前から死を意識していた広越くんが、自らを納得させる言葉でもあった気がする。

 外は、どしゃぶりの雨だ。

 

 

 第15話「かわきたりょうじ」2002・6・8

 これは、兄から聞いた話。

 兄が知人宅に遊びに行った時のことだという。玄関先でチャイムを押すと、「どなたですか?」と、中からかわいらしい子どもの声が、返ってきた。「川北です」と答えると、なんと即座に「かわきたりょうじさんですか?」と、言われたというのだ。

 呆然とする兄の姿を想像すると、おかしくてたまらない。だいたい、自分の弟の名前を、なんで知人の子どもが知っているのか、わけがわからなかったという。しかも「川北」と聞いて、スラスラとフルネームを答えたのだから。

 タネ明かしをすれば、一年生のこの子は国語の教科書で、ちょうど『のんびり森のぞうさん』を、勉強中だったのだ。この作品はボクが書いたもので、彼は作品と一緒に、作者名もしっかりと覚えたということらしい。

 それにしても、なんだか奇妙な感じがする。もしかしたら、彼は作品を楽しんだり味わったりすることより、丸暗記しているんじゃないだろうか……。そうでなければいいなと思いつつ、やっぱり気になってしかたがない。

 兄から話を聞いた「かわきたりょうじ」は、大笑いをしたあと、少し寂しくなってしまったのでありました。

 

 第14話「月」200・1・13

 年末のこと。大都会の夜空を、久しぶりに見上げてしまった。けばけばしいネオンが点滅するビルの遙か彼方に、眩しい満月が浮かんでいたからだ。満月は本当に眩しく銀色に輝いていた。雑踏の頭上に、静かな静かな球体。

 流れていく人波の中で、ふと立ち止まった。星を捜して多角形の夜空をゆっくりと確かめた。驚いたことに星が見えた。7つの恒星が、これまた静かに静かに瞬いていた。

 月の輝きに誘われて見上げた夜空。星々の輝きに比べたら、人の営みのなんとささやかなことか。人のどんな喜びも、どんな哀しみも、月と星の光には到底かないそうにない。

 

 第13話「サンタクロース裏話」2001・12・27

 ひょんなことから、子どもたち10数人、大人たち10数人が集まるクリスマス会で、サンタクロース役をやるはめになった。準備のために迷わず100円ショップに走った。一週間ほど前、その店には紙製のサンタのコスチュームが山積みされていたからだ。

 しかし、意外な事実が待っていた。サンタの帽子、赤いパンツ、プレゼントの品物を入れる大きな袋などはあるものの、上着だけが売り切れだった。パンツと帽子だけで「サンタでござい」というわけにはいかない。上着がなければ、どう考えてもサマにならない。店員にきくと、上着だけがすぐに売り切れになって在庫もないという。悲嘆にくれながら15分ほど店内をうろついた。そして、一大決心をして、赤いパンツ3枚と、赤と白の大きな袋を2枚買ったのだった。売ってなければ作るしかない。赤いパンツをばらばらにして、白い袋を適当に切りきざんでノリで貼りつければ、上着のようなものは作れる。いや、作れるはずだ。

 ところが甘かった。あれこれやってみても、なかなかサンタの上着に近づかない。どうにもこうにも、人前に出られるようなものになりそうになかった。もちろん、数千円出す気になれば、他店で布製の立派なコスチュームは手に入る。でも、たった5分ほどの出演に、数千円はもったいない。うなりつづけて悩みつづけて、急遽、上着だけ借りることにして、なんとかこの難局を乗り越えることになったのだった。

 それにしても、上着だけが売り切れたということは、クリスマス・イブの夜、あちこちの家庭に出没したサンタクロースの中に、赤いパンツをはいていないヤツが、かなりいたことになる。

 長引く不況まっただ中の日本。外にでかけてゴージャスにクリスマスを楽しむ家族は、少なくなっているという。100円ショップの紙製のサンタコスチュームの売れ行きも、そのことを証明している。でも、子どもたちの夢に応えるサンタクロース。どうせ変身するなら、パンツくらいはいてほしい、と思いつつ、もしかしたら、パンツしかはいていないサンタになったかもしれない自分の姿を思い浮かべると、冷や汗をかきながら思わず笑ってしまったのだった。

 

 第12話「海馬」2001・12・25

 「海馬」の読みは「かいば」だが、ふたつの意味がある。ひとつは「たつのおとしご」。もうひとつは人間の脳の一部の名称で、主に記憶を蓄積している部分のことだ。蓄積しているといっても、電気信号としてというのだが、あまりに高度なシステムなので、自分の脳ながらイマイチ理解しきれない。すばらしいと同時に、なんとも情けない。

 ところで、先日、知り合いの家族に赤ちゃんが生まれた。“光胤”(みつたね)と命名したと通知があった。ちょっとむずかしい“胤”の漢字をながめながら、彼は普段なんて呼ばれるんだろうと、ぼんやり考えた。“光胤くん”“光胤ちゃん”、は少々呼びづらい。もっと簡単に“光ちゃん”かもしれないと思った瞬間だった。海馬が突然、“光ちゃん”に関係する、かなり古い記憶を呼び出した。それは50年ほど前の「戯れ歌」の記憶で、これには海馬の所有者であるボクも驚いてしまった。

《みっちゃん 道みち うんこたれて  紙がないから 手でふいて  もったいないから なめちゃった》こんな他愛もない戯れ歌だが、海馬はちゃんとメロディーも記憶していた。

 小学生のころ、“みっちゃん”と呼ばれていた何人かの子は、必ずといっていいほど、この戯れ歌の洗礼をうけた気がする。

 それにしても、わが海馬のすばらさには驚くばかりだが、身近にいたはずの“みっちゃん”の記憶が全くない。やっぱり、すばらしいと同時に情けない。

 さて、「海馬」の他に、海と動物名を組み合わせた漢字がいくつかある。次にあげる漢字の意味は、それぞれひとつしかない。全部答えられたらエライ。「海豹」「海蛇」「海豚」「海鳥」「海象」「海鼠」「海亀」 さあ、どうだ! (答えはここでは書かない。けっこう感動モノなので、ぜひ辞書を調べてちょ)

 第11話「心も洗う」2001・12・6

 シューズ・ウオッシャーというマシーンを使いに、コインランドリーにいきました。300円で汚れたシューズが洗えるという便利さと、ちょっとした気分転換のつもりで、ふらふらと出かけたんです。洗い終わるまで30分ほど、ぼんやりしているつもりでした。ところが思いがけず、コインランドリーで店番をしている、パートのおばさんにつかまりました。おばさんは話し相手がほしかったのか、しゃべることしゃべること。

 おばさんは、ボクより8才年上の昭和14年の生まれ。子どものころのオヤツは、川から切り出した氷のかけらを拾って食べることだったそうです。30年ほど前は、当時はやっていたボーリング場で働き、そのあとはゴルフ場のキャディーを長年やって、今はコインランドリーだということでした。「あたしなんか、ずーっと働いてきてね。それなのに弟は、プロボーラーになるんだとかいって、あたしが働いている店で、一日中遊んでたんだよ」おばさんは自分の人生を振り返って、話しつづけました。あまりにも昔の話しで、グチには聞こえません。どこか楽しそうに、飲んべえのダンナさんが、数年前に亡くなったことまで教えてくれました。

 シューズ・ウオッシャーの回転音とおばさんの話しを、ボクは心地よく聞いていました。なんだか、ずーっと懸命に働きつづけてきたおばさんが、シワだらけのおばさんが嬉しかったんです。みんなみんな、そうなんだ。そんな思いもありました。これまでも、これからも、ボクたちは一生懸命に働きつづけていくんです。生きているかぎり。

 シューズ・ウオッシャーが止まり、ピーピーと終了の合図が鳴りました。真っ白になったシューズ。30分間で、ボクはおばさんから、心も洗ってもらった気になったのでした。 

 

 第10話「自爆」2001・12・5

 この2、3日、イスラエルとパレスチナの間で、テロ事件が頻発している。「自爆テロ」。自ら爆死するから「自爆」。第二次世界大戦の時の特攻隊と、思想も同じ行動も同じだ。

 ところで、「命を賭ける」という言葉は、今も生きている。ボクもたまに使うことがある。誠実で真剣で真摯で一途で……。精一杯の生きざまを表現した言葉として使ったりするが、よく考えるとやっぱりおかしい。「賭ける」のは「命」ではなく「人生」のはずだ。

 ふと思う。もしかしたら、ボクの感性の中に、戦前の思想が脈々と生きているのかも知れない……。いや、それはちがう。多分そうじゃない。生よりも死を選ぶことに、どこか尊さのようなものを感じている。これはいったい、どうしてだろう。命の大切さは、承知しているつもりだ。それでもなお「自爆」の言葉に心がざわめく。

 そういえば、56才の男が、親しく付き合っていた女子中学生を殺して電車に飛び込んで死んだという。「あの子がいるところに行く」と、遺書にあったらしい。無理心中なのか、命を賭けて責任をとったのかは不明だが、なぜか、56才の男の死にざまに、心がざわめいてならない。

 

 第9話さようなら 漫画家・青柳裕介さん2001・8・10

 2001年8月9日、漫画家の青柳裕介さんが肺炎で亡くなった。1999年にはガンの手術をしていたという。享年56才と新聞の記事にあった。ボクは、新聞に載っていた小さな青柳さんの写真を、ぼんやりと見つめていた。面識はまったくない。ただ、彼の代表作になった『土佐の一本釣り』は、その昔、よく読んでいた。無骨で不器用な男と、しとやかで優しく芯が強い女が織りなす物語は、青柳さんが理想とする愛の形だったんだろう。

 青柳裕介の名前を知ったのは、30年以上も前だ。「ガロ」(青林堂)という漫画雑誌だった。掲載されていた作品は覚えていない。でも、今でもボクの手許に彼の作品集『現代漫画家自選シリーズ30 陽炎』(青林堂)が残っている。「陽炎」「いきぬき」「梅雨の終わりに」「遠い雲」「求婚」「かたつむり」「夢幻」「挑戦」「結婚式の日」「胞状奇胎」の10作を収めた短編集。中高生の時に描いた習作風の作品もあるようで絵は稚拙だが、様々な形の愛が真面目に描かれている。そこには、後の青柳さんが描いていった“絵”も“愛”もすでにある。

 ふしぎなものだ。書き手たちはデビュー前から、生涯のテーマを抱えているものなのだ。

 さようなら、青柳さん。お疲れさまでした。……合掌。

 ……ああ。カナカナゼミが、すぐ近くで鳴いている。 

 

 第8話ゴレンジャーの仲間たち2001・7・3

 デパートの玩具売場で、25周年記念の人形セットが売り出されていました。ここではいっさいのコメントは避けて、年表風にずらずらと書いておきます。多くの男の子たちにとって、それぞれの作品が幼児期の思い出になっているんでしょうね。30才以下の人には「これ知ってるけど、これ知らない」そんな会話で、現在の年齢がわかるのかも知れません。

1975年◆秘密戦隊ゴレンジャー 1977年◆ジャッカー電撃隊 1979年◆バトルフィーバーJ 1980年◆電子戦隊デンジマン 1981年◆太陽戦隊サンバルカン 1982年◆大戦隊ゴーグルファイブ 1983年◆科学戦隊ダイナマン 1984年◆超電子バイオマン 1985年◆電撃戦隊チェンジマン 1986年◆超新星フラッシュマン 1987年◆光戦隊マスクマン 1988年◆超獣戦隊ライブマン 1989年◆高速戦隊ターボレンジャー 1990年◆地球戦隊ファイブマン 1991年◆鳥人戦隊ジェットマン 1992年◆恐竜戦隊ジュウレンジャー 1993年◆五星戦隊ダイレンジャー 1994年◆忍者戦隊カクレンジャー 1995年◆超力戦隊オーレンジャー 1996年◆激走戦隊カーレンジャー 1997年◆電磁戦隊メガレンジャー 1998年◆星獣戦隊ギンガマン 1999年◆救急戦隊ゴーゴーファイブ 2000年◆未来戦隊タイムレンジャー 2001年◆百獣戦隊ガオレンジャー

 

 第7話我常常◯有銭(ウォチャンチャンメイヨウチェン)2001・6・3

 ヤボな用事があり、何年かぶりで大学時代の同級生Kくんとサシで酒を飲みました。酔いがまわると、話はお決まりのコースに突入。「あんなことがあった」「こんなこともあった」と、思い出話に華が咲きました。でも、今から30年も前のことですから、お互いに曖昧なことも多く、思い違いもあるし忘れてもいます。正確にいえば、ほとんど忘れているんです。過去の記憶は面ほどの広さはなく、どれも微かな点でしかありません。

 1968年の春、ボクたちはお互いに二浪の新入生でした。第二外国語に中国語を選んだ縁で、1年J組のクラスメイトになったんです。1年のときはボクもまだ普通に、そしてけっこう真面目に授業に出ていました。ところが、入学と同時に入った児童文学のサークル『少年文学会』は、ボクの真面目さを許さなかった。というと『少年文学会』が悪いみたいですが、ボクの真面目さは授業よりサークル活動に向いてしまったというわけです。

 当時、学生たちは顔を合わせれば、すぐに政治の話、文学の話、芸術の話、哲学の話で議論になったもんです。もちろん、Kくんともケンケンガクガク、アアダコウダ、ウダウダとやりましたが、沖縄出身の彼は、彼なりのしっかりした視点で日本を論じていて、感心した記憶があります。(驚いちゃいけません。当時、沖縄は日本の領土ではなかったんです。Kくんはパスポートを持って日本の大学にきた、沖縄からの留学生だったんですよ)

 まあそれはさておき、そんな時代の中、彼は本当にちゃんとした学生でした。1年2年と着実に中国語を身につけていきました。ボクなんぞは、教科書の『毛沢東語録』の冒頭の数行を丸暗記した程度なのに、彼はもうペラペラと話せるようになっていたんです。

 そんな彼が、なんと30年以上もたっているのに、ボクが中国語を話していた場面を、鮮明に覚えていてくれました。それがタイトルにした一文です。(◯は中国語がないので打てないだけです)

 ボクは全く覚えていませんが、彼の記憶によると、授業で「常常(チャンチャン)」の使い方を勉強した直後のことだったといいます。授業が終わって、みんなでゾロゾロと教室を出て、〈スロープ〉と呼ばれていた文学部内の坂を歩いているときに、ボクが「常常」を使った文をいったんだそうです。タイトルにした文ですけど、彼はそれを聞いて《ああそうか、そんな使い方もあるんだ!》と、感心したというんです。

我常常◯有銭(ウォチャンチャンメイヨウチェン)

 ボクがこともあろうに、中国語でKくんを感心させたことがあったなんて、驚いたのなんの。そして、もっと驚いたのは、ボクの暮らしぶりが30年前と何も変わっていないことでした。タイトルの文章が訳せないと、意味がわからないでしょうけど、想像してください。このエッセイの冒頭に書いた「ヤボな用事」と関係のあることなんです。(意味がわからなくて悔しい人は、今から中国語を勉強しましょう。といっても、やるわけないと思うので、勉強する気のない人のために、ヒントになる文章を最後に添えておきます)

 ありがとう、Kくん! 本当にありがとう!  

 

 第6話EMMYLOU  HARRIS(エミルー・ハリス)2001・5・6

 第2話で書いた「Together again」の歌を、ついに発見したんです!!!!!! 

 でもそれは、あまりにも、あっけないものでした。CD屋さんに置いてあった検索マシーンを見つけたのが、すべてでした。CDが出てるかどうかもわからなかったので、遊び半分ダメモトで、CM曲検索に「ホンダ」と打ち込んだだけでした。即座に「ホンダ」のCMで使っている曲のタイトルやデータが、だだだーっと、30曲くらい表示されました。そしてその中に、なんと、4ヶ月前から気にかかっていた「Together again」が、あったんです!!!!!!!!

 店員さんに探してもらって、EMMYLOU HARRIS(エミルー・ハリス)の『ELITE HOTEL』というCDを手にしたとき、ボクは目を疑いました。ジャケットの写真は、想像していたよりも遙かに若い女性。しかも、ジーンズにロングブーツ姿。斜に構えた気だるそうな表情の長髪の美人でした。

 もちろん、即、買いました。

 ところがというか、これまたというか、驚いたのはこのCDに収録された彼女の声は、1976年のもの。そして彼女は、あの反戦フォーク・シンガーとして有名なジョーン・バエズと同世代で、ボクと同じ年の生まれらしいのでした。さらにさらに驚いたのは、このCDに収録されている曲は、少年の頃からボクの身体にしみついているカントリーだったんですよ! カントリーーーーッ!!!!!

 もちろん、聴きました。

 カントリーとロックが好きだというEMMYLOU HARRISの「Together again」。

 もちろん、浸りました。骨にしみるほど……。

 

  第5話「不細工な階段」2001・5・5

 久しぶりにJR山手線の目白駅で下り、改札口にいって一瞬たじろぎました。いつの間にか改装されていて、昔の面影がありません。改札口を出てまたビックリ。駅前の様子もちがっていました。その時、ボクの脳裏をよぎったのは「あの階段」のことでした。「あの階段」もなくなったかもしれない……。でも、改札口を出て左に行くと、心配した階段は昔のままの姿で健在でした。左下に90度近く曲がっている、不細工な階段を見下ろしながら、ほっと胸をなでおろしたんですが、その時はじめて、ボクが、この階段を気にかけていた理由に気づきました。

 たぶん、曲がりくねった不細工な階段は、坂というか土地の急傾斜に合わせて作られた階段です。土地を大幅に削って作った階段ではなく、土地の形状に合わせて作った階段。だから、どことなく不細工で、不揃いで曲がっているんです。でも、だから、好きな気がします。こういう階段に出会うと、ホッとするんです。うれしくなるんです。

 そういえば、新宿の南口近くにも好きな階段がありました。用もないのに、わざわざその急傾斜の階段を利用したものでした。過去形で書いたのは、今は影も形もなくなってしまったからです。「駅前再開発」とかで。

 最近作られた階段は、コンクリートで、きちっと直線的に作られたものばかりです。とってもスマートです。もちろん段差は一定ですし、歩きやすい。不細工なのは、息を切らせて重い足取りで上り下りする、ボクの方……。

 でも、それでいいんです。だからいいんです。だって、ボクは生き物。昔からデコボコの土地を踏みしめてきた生き物なんですから。

 

  第4話「ピルトダウン人」2001・3・31

 知っている人は知っている。知らない人は全然知らないのが、ピルトダウン人。なにやら月光仮面のおじさんのような感じの人種です。人種といっても、現在の地球上には存在しません。かといって異星人でもないという、知らない人には特にワケガワカラナイ人種なんです。

 ピルトダウン人というのは、1908年、イギリス南部のサセックス州ピルトダウンの200万年前の地層から発見された、ヒトの頭骸骨の化石に付けられた名前です。現在の人類とほとんど同じ特長を持っている頭蓋骨と、類人猿的な特長を持った下顎骨と犬歯。これが、1912年、ロンドンの地質学会で発表され、《人類進化の重要な証拠》と当時の人類学会に大センセーションを巻き起こしたんですが、実はこれはニセ物でした。でも、頭蓋骨が先史時代のホモ・サピエンスの物で、下顎骨はオランウータンの物だとわかったのは、なんと1953年になってからです。つまり40年間、このピルトダウン人は実在したと考えられていたというからオドロキです。

 つい最近、日本の「考古学者」のやったこととそっくり。でも、なんでこんなことがと思います。「専門家」たちが寄ってたかって調査して、どうして見破られなかったのか? 

 当時、世界の人類学会の主流は、ダーウィンの進化論を排斥し、人類は頭脳の進化が他の身体より先行して発達し、ヒトとなったと考える学者が多かったといいます。こうした考えのウラには、ヒトがサルのように原始的な生き物から進化してきたとの考えに、我慢できなかった偉い学者先生たちの事情がありました。つまり、ピルトダウン人は、当時の学者先生たちの学説とプライドを満足させてくれる、とても都合のいい化石だったというわけです。

 目の前にある事実の都合のいい部分だけを取り上げ、それが事実そのものだと言ってしまっては、学問でもなんでもありません。まあ、事実を事実として受け止めるには、誰でも相当の勇気と覚悟が必要です。それと、自分自身を客観的に突き放す冷静さがないと、できないことでもあります。それに、人間が犯してしまう大多数の過ちは、どうも物事を主観的に見る人間本来の思考そのものにあるような気がします。

 うーん。ピルトダウン人って、かなり奥が深い存在だなあ。……え? おまえ、なにが言いたいんだって?

 そろそろ、“21世紀の子どもの本の姿を探る”準備をと思っていたので、人間の先入観の恐ろしさというか、人間の判断の危うさを再確認させられたんです。学者でもなんでもないボクがやることですから、なおさらのことです。ボクが児童文学のピルトダウン人を作ってしまうかもしれない、とね。

 そうそう。ピルトダウン人の話は、長谷川政美さんの『DNAに刻まれたヒトの歴史』(岩波書店)からのウケウリですので、念のため。

 

  第3話「元気の素」2001・1・26  

 一通の年賀状のおかげで、ぼくは一日中ニコニコしていました。その年賀状の文面を思い出すたびに、自然に口もとがほころびます。電車に乗っているとき、歩いているとき、時と場所は無関係です。単純な性格だなあと思いながら、自分のそんな単純さがうれしくもありました。

 元気の素になった年賀状は、大先輩作家の古田足日さんからのものです。文面は古田さん独特のふにゃふにゃ文字で、「マリア探偵社 おもしろい」と一行。たったそれだけで、ぼくは一日中、ニコニコしていました。古田さんは、戦後の日本の児童文学を評論、創作の両面でリードしてきた人。そんな人から、ぼくが書いた作品を誉めてもらったんですから、うれしくないわけがありません。でも、ニコニコしながら、実は昨年11月の古田さんの声と、後ろ姿を思い出していました。

 昨年の11月、上地ちづ子さんの葬儀の際、古田さんは「お別れの言葉」をスピーチしました。席上、二列後ろに座っていたぼくは、古田さんの後ろ姿を見ながら声を聴くことになったのです。その「お別れの言葉」の中で、“上地さんの作品を、もっと誉めておけばよかった”というフレーズがありました。ぼくはこの言葉をすごく感慨深く聴きました。“もっと誉めておけばよかった”という言葉は、上地さんと古田さんの個人間の作品評価の問題というより、戦後の児童文学批評・評論のありかたについて、古田さんなりの反省がこめられていたからです。ぼくの思い込みかもしれませんが、実はこんな昨年11月のことと今年の年賀状の一行が、ぼくの頭の中でつながっているんです。それで、誉められたのかもって。

 まあ、あれこれと、言葉のウラを詮索しないほうがいいのかも知れません。ウラのウラのウラのウラは、オモテです。♪ウララ〜ウララ〜ウラウララ〜 なんてのもありましたっけ。

 そういえば、1月になってから、「マリア探偵社」シリーズの読者の子どもたちから、応援のメールやファンレターが届き始めました。なんといっても、読者の声は本当にうれしいもんです。古田さんからであろうと子どもからであろうと、誉められたことは、単純に率直に思い切り喜んで、元気の素にするのが一番かもしれません。

 

  第2話「Together again」2001・1・15 

 最近、すごく気にいっている歌があります。「Together again」。ホンダCIVICのTVコマーシャルのBGMで流されている歌です。哀しさを温かさで包み込んだというか、切ないラブソングですが、この曲の歌い手の名前は、今のところ不明。曲の感じでは50年代〜60年代の歌かも知れません。

 仕事に追いまくられる生活のせいでしょう。穏やかな気持ちを呼び戻してくれる、この曲に歌手の声に、心がなごみます。何気なく振り仰いだ頭上に、いつのまにか広がっていた青空。そんな時の気分にさせてくれるんです。もしかしたら、こうした気持ちはボクの年齢からくるのでしょうか。そうだとすると、ホンダCIVICの購買世代を意識した選曲は、なかなかです。

 ところで、「Together again」を聴きながら、ふと思い出したことがあります。それは十数年前のことで、年上の編集者のAさんが、何気ない会話の中で語った一言です。「ぼくはね、いつもこんなヨレヨレの服を着てるけど、買えないわけじゃないんだ。作家の人と会うときは、これでも気をつかってるんだよ」しみじみと語ったAさんの言葉に、いやみは全く感じませんでした。むしろ“モノカキ族”を思いやる彼なりの配慮を知って、温かいものを感じたものです。Aさんは、こうもいいました。「不安定な生活を覚悟で、表現に人生を賭けている人たちのおかげで、ぼくは食べさせてもらっているんだから」

 温かいもの。心なごむもの。それは立場は違っても、人間としてお互いを理解し合う場所に生まれる、磁場のようなものかも知れません。そして、きっと、ぼくたちは日々それを求めているはずなんです。温かいもの。心なごむもの。心通い合う磁場を……。

 Aさんとは結局、その後一度も仕事をするチャンスはありませんでした。若くして他界してしまったAさんは、既に雲の上で、仕事での「Together again」は、永遠に無理になりました。

 さて、さて。ホンダの意図には応えられない“モノカキ族”の一人だからせめて、一日も早く「Together again」を手に入れて、たっぷりと浸りたいと思っているんです。Aさんを思い出しながら……。 

 

  第1話「演歌はこれでエエンカ?」2001・1・8

 小学生の女の子たちが、「演歌はつまらない」と、おしゃべりしているのを小耳にはさみました。誰の何という歌について言っているのか、わかりませんでしたが、話題はNHKの紅白でした。ちなみに、好きな歌手は、浜崎あゆみ、モー娘。、ラルク、花花、安室だそうです。

 ところで、「演歌はつまらない」って、どういうことなんだろう? と、ボクは思ったんです。断っておきますが、ボクは演歌ファンでもありませんし、かといって、モー娘。ファンでもありません。元来ジャンルには拘らないタチの人間でして、だから、ジャンルをひとまとめにして「演歌はつまらない」って言われると、何か割り切れないモヤモヤが残っちゃったんです。

 昨年の夏でした。中学生の女の子が、「浜崎あゆみの歌は、あたしの気持ちにとっても近いから好き」って話してくれました。そういえば、高校3年生の男の子たち二人と、演歌についておしゃべりしたことがあります。Aくんが演歌はいやだと言うから理由を訊くと、「なんかさあ、がんばれ、がんばれ、っていう感じがして、いやんなるんだ。疲れるじゃない」ということでした。ところがBくんは「演歌はいいぞ。元気が出るじゃないか」とのこと。まあ、関係があるかないかわかりませんが、Aくんは演劇部、Bくんはサッカー部でした。           

 Aくんが、そのとき気に入っていると言っていたのは、『カレーライスの歌』(正確じゃないかも知れない)。CDを聞かせてもらったけど、曲調も詩も、なんと1970年前後に流行った“4畳半フォーク”そのもので、おどろいたのなんの。で、「サザンなんかは、どうなの?」って水を向けると、「桑田の歌い方って、ちょっと聴いてると飽きちゃう」らしい。『カレーライスの歌』の世界は、少ししたら自分でも経験できそうな風景を感じるから、好きなんだって。

 そうそう、演歌の話でした。「演歌はつまらない」って話。この「つまらない」って言葉の中に、大切なことが隠れている気がしてならないんです。「感覚的に合わないから、つまらない」とか、「わからないから、つまらない」「古くさいから、つまらない」とか、なにかきっと、その理由が省略されているはずなんです。

 だいたいが、演歌は大人の人生(重く、暗く、切なく、哀しい)を歌ったものが多いもんです。歌詞も、今のこどもたちの日常口語とはかなり離れた感じがする凝縮した言葉です。曲も定形といえるようなメロディーを、どの歌も踏襲しています。「演歌はつまらない」という声には、それなりの理由がありそうで、内容も形式も今のこどもたちにとっては縁遠い歌なのかもしれません。自分の今の気持ちを乗せられないという意味で。もちろん、Bくんのような演歌ファンがいることを、忘れちゃいけませんけど。

 音楽業界では演歌の売り上げ不振が続いていて、一昨年から昨年にかけて、大泉逸郎の『孫』の久々のヒットに大騒ぎでした。千載一遇のチャンスとばかり、氷川きよし青年を鳴り物入りで押し上げたりして。でも、『孫』のファンは孫を持つ祖父母の世代です。決して孫たちではありません。若い氷川きよしの登場で、演歌に関心を持った若者が少しは増えたかも知れませんが、孫たちの世代は『だんご3兄弟』と『慎吾ママのオハロック』、そして、浜あゆなどなどです。

 話題はズレますが、孫の世代の心に響く歌のありようは、その延長線上で「児童文学」のありように必ず繋がっているはずなんです。もしかしたら、というより、きっと、日本の「創作児童文学」の不振の原因は、演歌の不振と根が同じなのです。

 

 「演歌はこれでエエンカ?」などとタイトルを付けながら、ズレた話題のままで時間となりました。すっかり冷めたコーヒーを飲み干して1回目は終了です。と言いつつ読み返してみたら、これ、エッセイでもなんでもないですね。次回からは『お気楽メモ集 小石のつぶやき』にしようかなあ。

 

 

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